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3月6日

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ゆでたまごが白くてうれしい。

 

何かに悩むとき、前よりも格段に前向きな選択肢で悩めるようになったよ。みたいな話をのどかとモーニングを食べながらした。どちらを我慢するかじゃなくて、どちらに寄り添いたいかでものごとを選べる気がする。

 

選ぶことが出来なかった選択肢に思いを巡らせてくよくよしなくなったのかもしれない。あの時にああ出来なかった、みたいなことが、自分の中できちんと腑に落ちはじめた。もっと早くああしていれば…と思うこともあるけれど、そうしていなかった分で別の何かを得ている。確かにわたしはあのときああ出来なかったし、あのことに気がつくのも少し遅かったけれど、今こうしていることをきちんと肯定して、明日出来ることを今日少しずつ増やしていくしかないし、そうしたい。ギターが弾ける人生がよかったとくよくよするなら、今日一曲でも弾いてみようとする。そういう努力の存在を認めて、足場を組み立てるみたいな作業とちゃんと向き合おうってきもちになってきた。

 

あれっ、もしかして今わたしは途轍もなくつまらなくて当たり前なことを言っているのかもしれない…。でもそれでいい。4年間思うだけ暴れまわった結論がこんな月並みなことでいいのかな、とも思うけど、月並みなことが出来なかったからのたうち回ったのだし、ようやく冷静になって、なにを選ぶにも落ち着いて決断できるようになってきた。わたしの人生はわたしが責任を取る代わりに、だれの義務も負う必要はない。

 

ここ数年、全部を理解したい、とか、気に食わないものとは真っ向勝負してぶん殴って生きていくぞ、とか、100人いたら100人から愛されて生きていくぞ、とか、自分が何か間違ったことをしたり挫折したりした時は切腹して死のう、とか思っていた。本気で。疑いなく。明るさで人を殴っているうちに自分は明るさが取り柄の人間だと思うようになっていたし、強気が有り余っていた。いいとか悪いとかじゃなく、確かにそう思っていたし、そういうわたしがちやほやされたり疎まれたりした。

 

 

いまはもう、無敵で突っ走らなければ、と思わなくなった。死ぬまで突っ走ることは出来ないってわかってきたし、突っ走らなくてもいいと思うようになった。これは敗北でも挫折でもないと思う。無敵で突っ走っていきたいと思う季節が終わっただけ。

 

 

バスの揺れ方で人生の意味がわかった、とバスに揺られるたびに思い続けて、こんなにしあわせな土曜日があっていいのだろうか、と涙目になり続けて、人生を少しずつ上塗りして膨らませていくとするか。今しかできないこと、とばかり思っていたけど、これからは"その気になれば何度でも出来る"って思って暮らしていきたい。東京なんていつでも来れるし、仕事なんていつでもできるしいつでも辞められる。ほんとうに絶望したときは死んじゃったってかまわない、そのときは来世があるし。どうしようもなく愛しいなら結婚しちゃえばいい。石橋を叩いて割るのはもうやめよう。叩かずに渡ってぼろぼろに崩れちゃったとしても、また橋を作っちゃえばいい。こうあるべき、という無言の呪いを自分にかけ過ぎていたけど、この呪いもちゃんと自分で解けたじゃんか。

 

その気になれば何度でも出来るぞ。

 

 

 

ゆでたまご、ちょ〜綺麗に剥けた。