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3月4日

 

わたしのこれまでの人生を2時間半の映画にするとして、いろんなことがあったけれどどうかこの土曜日のことを30分は描かせてほしい、それくらいあまりにも幸福ないちにちだった。

 

まったく土地勘のない場所で入った珈琲店のマスター夫婦と仲良くなって、すっかり話し込んだ。短歌の話、啄木の話、ジャズの話、コーヒーの話、愛する人の話。1時間でよくここまで話し尽くせたと思う。後から合流した彼に、さっきこんな話をしてね、と報告すると「そんなに直ぐに打ち解けられるなんてさすがだなあ」と感心されたほどだった。

コーヒーは耳で聴いて焙煎するらしい。熱心に信仰していると言っていいほど大層珈琲にこだわりがあるふたりだったので、獅子文六の「珈琲と恋愛」という小説のことを話した。ふたりとも読んでいないとわかり、この話は珈琲好きなあまりに喧嘩する男女が出てくることは黙っておいた。帰り際に南極の石を見せて貰った。南極の石…

 

 

確実に足元に埋まっている春を感じながら彼の生まれ育った場所をひたすら歩いた。公園にはたくさんの犬がいて、たくさんのベビーカーがあり、それぞれがそれぞれの人生の土曜日を過ごしていた。はじめて来た場所なのに、ここにずっと昔の思い出があるような気がした。彼の行きつけのレストランへ行き、図書館へ行き、そこで詩集と句集を借りてもらって喫茶店で読んだ。時折指差して笑いながら、しあわせの途方にくれて泣き出しそうになる。

 

公園では早くも桜が咲いていて、見上げると大きな緑の鳥が次から次へと桜の花をちぎっては地上へぽとぽと落としていた。うぐいす?にしてはでかすぎない?わ、待っていっぱいいる…いち、に…7羽も… インコじゃない?インコだね、なんでインコがこんなところに…。目つきの悪いインコがふてぶてしく桜を落とす様はあまりにも無愛想なブーケトスのようで可笑しかった。ふたりでずっと真上を見ながら手を伸ばし、落とされた桜を空中でキャッチしようと躍起になった。あとから調べたら都内ではワカケホンセイインコという外来種のインコが野生化しており、桜を喰いちぎるのは根元の蜜を吸う「盗蜜」という行為らしい。彼が掴んでくれた桜の花はさっき借りた詩集に挟んだ。

 

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鳥の啄んだ花を掴んで詩集に挟むなんて、こんなのとこしえの記憶じゃん、と思ってしまう。とこしえの記憶じゃん。こういう土曜日を過ごすことができただけで生まれてよかった。

 

 

 「見てて、そろそろこのへんから観覧車が見えるよ」と言われたこと。フランボワーズの板チョコレートをひとかけ貰ったこと。レストランのいそぎんちゃく。春の季語を教えたこと。好きな曲を教えて貰ったこと。虹色の凧が木の枝に引っかかっているのを指差したこと。少年たちの草野球を眺めたこと。どうしても胸の内だけに留めておけず短歌にした。こうしてそのひとつひとつをいつでも思い起こせるように記録することを消費だと呼ばれるのなら、そんなの暴力だ。愛はおしゃれじゃない。これは消費でもファッションでもない。わたしが何かを書き残すときの原動力は、洞窟に骨を使って絵を描くような、もっと原始的で、もっとやり場のないきもちだ。

 

 

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おいしい羊肉を食べながら、好きな人と獣らしい食事をするのはかなり江國香織っぽいと思った。肉をつまんだ指ごと舐めながら、わたしたちが人間という1匹の几帳面な獣であることを再確認する、的な。彼がわたしの顔を真剣に見つめて「ほんとうに、玲音は、たましいが綺麗な子だよね」と、まるでわたしみたいなことを言い出すので驚いてしまった。「ええと、こころが綺麗。っていうとそういうことじゃないんだけど…透き通っているというか…」うれしくてたじろいでいると、彼までたじろいでしまう。思い出した。わたしが好きな人を好きなのは、不器用なほど実直だからだ。ふたりでコジコジのアニメを見ながらコジコジと次郎の真似をした。コジコジはうまれてから死ぬまで、ずーっと、コジコジだよ?

 

 

 

 

 

 

マスターに「あなたにはすばらしい人生しか待っていないし、きっと東京でそれが叶う」と言われたことは、半透明の半紙みたいな膜に包んでこころの中に祈りのように眠らせた。