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2月4日

結局一粒しか泣かなかった。

 

もうあと1週間もないのに、なぜだかずっとこの暮らしが続くものだと思ってしまって、ふたりからの送辞を「やめてくださいよ、そんな、お別れみたいな」と遮った。ココさんから手作りの白いビーズのブローチとツモリチサトのハンカチをもらい、抱きしめあって仙台で別れた。東京で暮らしてみるのもぜったいたのしいわよ、という言葉と、でも俺はやっぱり東京には住めないなと思った、という苦笑い混じりの言葉を聞いた。好きな人たち全員に、会いたいと思ったら電車に乗って4駅くらいで会えたらいいのに。それが東京という街なのだろうか。きっとちがう。好きなことだけして暮らしていくことができない、のではなくて(そんな夢のない言い方をしたくない)、やりたいことが多すぎて、一気に同じくらいの力を込めるのはやっぱり無謀なのだ。年を重ねて、やりたいことはどんどん増えて行くだろう。22年間でこれだけの人の縁に恵まれたのだから、44歳になるまでにはさらに慄くほどの、素晴らしい人との出会いがある。第1章の幕をそろそろ引かなければいけない。幕をひくってことは、そのあとふりだしに戻るってことじゃない。その時点までの共演者やスペシャルサンクスのみんなと緞帳の前で手を繋いで、鳴り止まない拍手喝采に包まれながら満面の笑みで深々と礼をするってことだ。

 

それにしてもわたしはここまで出会ってきた人たちが好きだ。そしてこの場所が。ここでのたうちまわった日々がぜんぶ愛おしい。あのときもっと、と思ってばかりだけどあのときそう出来なかったことはすっかり腑に落ちているし、わたしはそれでも最善を選んで来たじゃないか。なるべく突拍子もなくて、ばかばかしくて、きらびやかで、たのしくて、取り返しの付かなくて、詩の粒に満たされたほうを。紛れもなく最善だった。すこし遠回りする羽目にはなったかもしれないけど何も間違っちゃいない。

 

 

愛が何かってことは四年かけてぜんぶ仙台で知った。

 

無理だってわかっているから口だけは駄々をこねさせてよ。小さい頃わたしは全く駄々をこねない子どもだったんだって。だからその分いまわがまま言わせてよ。どうせ来週末には引っ越すから。やだよ。ずっとこのままでいさせて。みんな何にも変わらずに、このままで、この日々を続けたまま死にたいよ。

 

みんな大好きで、ぜんぶ大好きで、途方に暮れてしまう。北仙台を通り過ぎたあたりで突然「4年間ありがとう」と言って握手を求めてきた浅野の泣きそうな顔を忘れない。泣くなよ、あはは馬鹿じゃないの、一生会えないわけじゃないのに。と笑い飛ばそうとして、一昨年みんなで蛍を見ているときに浅野が「あと何回こんな風に空を見上げられるんだろう」なんてうそみたいな台詞を言った時のことを思い出した。その時はちゃんと言えた。ばーか、いつでも集まれるっつーの。って。浅野は「そうだよねえ」と笑った。でも今回は言えなかった。みんなこうやってどんどんばらばらになるのかな、って思ってしまった。浅野はきちんとコートの袖を捲って右手を差し出してきた。しぶしぶ、でもしっかり握手をして、「こちらこそ、ぜんぶありがとう」と言った。眉を意地悪につりあげて、ばーか、って顔しながら。ばーか、泣いちゃうじゃん。ってこころの中で言った。たぶん、浅野にはそんなこととっくにバレていた。浅野に手を振って台原を発車して、一粒だけ泣いた。涙がこぼれる前に目頭を押さえてコートの袖で吸わせた。

 

 

一駅ずつ降りたりしない帰りの地下鉄はやたらはやくて、地下鉄ってすごいはやい乗り物なんだな、と思って、そんなのあたりまえで笑った。くたくたになったフリー乗車券はおみくじと一緒に財布にしまった。