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2月3日

 

こんこんと眠り続けてしまった。メタファーだしメタファーではないです。

 

書きたいことだけが溜まっていく。こんなんではいかんいかんと思いながら、今度こそ最後だ今度こそやめるぞと言い聞かせ続けてメビウスの1㎜はあと4本になってしまった。どうにか教授にメールを返した。年明けからわたしを心配してくれる大人からの連絡を結構無視している。申し訳ない、申し訳ないのだがわたしはいまあなたがたに合わせられるような顔がない…顔がないなら顔がないと連絡するべき。わかっている。Facebookのアイコンを変えたら白形さんから「かわええやん」とLINEがあり、うれしくなって返信していたら「そんでおまえは人生設計結局どーするん??」と、唐突に。ほんとうにそういうやり方がうまい。そんで当たり前のことを当たり前に怒られたあとやさしい喝を入れられたのが昨日で、ラブレター書くから実家の住所を教えんさいと言われ、その住所に松山からせとかという宝石みたいな柑橘が届いたのが今日。仕事が早い。こういう大人になりたい。白形さんは神野紗希や佐藤文香とおなじくらいにわたしを可愛がってくれる。俳人でもなんでもないのに。素晴らしい大人たちがどうしてわたしにこんなに良くしてくれるのかわからない。うそ。年下の女の子をなんぼでも応援したいきもちはよくわかる。応援すること自体に救われるし、投資しがいのある希望なのだ。きぼう。わたしが若さと希望をあてられてもらえるうちに。かたちを決めなければ。かたちが決まらなくても、どういうかたちになりたいのか定めなくては。

 

わたしのともだちとわたしのともだちが知らないうちに(或いはちょっとしたわたしの仲人により)仲良くなっていく。わたしの居ないところでわたしの話をしていたりするのだろうか。前置きを必要としない友人を作るのにインターネットは最適で、しばしばそれが当たり前のような錯覚さえ起きる。タイムラインが似ている同士ならほかの何にも似ていないのに何かが似ている感覚がある。さいきんは他人との出会いに運命や感動を覚えすぎるのも(そういう意味づけをしすぎてしまうことは)良くないような気がしてきた。既に「妹みたい」「双子の兄弟みたい」と言ってしまった人がそれぞれ3人ずついる。そんなのナンパと変わらない。ほんとうにそう思ってそう言っているのだけれど、そうやって肉親に位置付けすぎると肉親が足りなくなる。それほど出会いに恵まれているのはありがたいことですが…

 

大きな物語と小さな物語の話をしていたのは多分けもの先生だったと記憶しているんだけど、大きな物語は「今がお前の人生の岐路だ」とわたしにのしかかり、小さな物語は「だっさ」とわたしをまち針でぷすぷす刺してくる。どちらの物語にもぜんぜん歓迎されていない。仕方がない。終わりよければすべてよしならば、いま現在によってここ4年間のことがすべて悪いということになってしまう。

 

 

ひとりごちに口を開けば「最悪」と言ってしまっている。そのあと慌てて「、ではない」と付け足して、かなり癖がついてしまっているなあと思う。言霊は前向きに使いたい。とにかく外に出ようと、化粧もせずスーパーに出向いて安くなっていたねぎとろ巻きとビールとキムチと板チョコレートを買い、たばこを吸いながら帰る。有汰から「美味しんぼに触発されて作ったお吸い物の味をみてほしい」と呼ばれ、飲みにいく。かなり薄味だけどちゃんと昆布と鰹節からひいたという出汁が香っていた。ひとりでいると気が滅入ってだめだ、とここ数日の話をすると「おれが鬱だったときと同じじゃん、それはもう鬱ですよ」と言われる。そんな気がしてインターネットで診断したけど大したことないって結果だったよ。睡眠と食事はむしろ取りすぎている。ただ、そうだとすれば去年の秋からわたしは鬱だったんだろうな。震災の話をして自分の部屋へ帰る。あのとき石巻では何が起きていたのか。壮絶だった。壮絶なことを笑って話すのが壮絶だと思った。

 

地下鉄吟行の予定を立てて眠る。好きな人の声が好きだなと思いながら。