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2月10日

こんなことばっかり続けてる日々をあたしはばかだから愛しちゃってるんだぜ。ほんとうのとこはわかってるんだ、でもね一生パーティーがいいな。

 

駿くんが作ってくれたわたしの動画を見て泣いてしまう。ふくろうずのループする。でもこれ以上ループしてはいけないものもある。

 

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サンキャッチャーがきらきらしてて、この建物の名前がこもれびだってこと思い出した。段ボールにものを詰めながら思い出を切り崩す。大学のともだちと餃子パーティーした。ひとりで泣いた。朝まで話した。パンを焼いた。歌を歌った。モヒートを作った。ギターを弾いてもらった。うそをついた。無理をした。たばこを吸った。一日中寝ていた。レモンジュースを作った。手紙を書いた。セックスをした。鍵を捨てた。プレゼントをあけた。自信満々だった。自己嫌悪だった。すこしずつ、でもだんだん雑に詰め込んでいく。どうせまたすぐに開くだろ。センター試験の受験票、合格通知、昔の写真などが出て来た。

 

有汰が照明外しに来てくれる。なにからなにまでありがたい…

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ついでにVRAV見せてもらう。自分の肉体をひょろ長の男性のものだと認識するのがたのしかった。DMMのかわいい女優。

 

 

大家さんが来て、ざっくり部屋の確認をしてすぐに去っていった。四年間おせわになりました、と言うと、こちらこそ、と言われる。そうですよね。家賃高かったです。

 

和也に小包を出す。16:55。ぎりぎり。この郵便局に来るのも最後かもな、と思う。ありがとうございました。たくさん手紙を出した。

 

帰り道の空がへんに赤くて、しばらく見上げていた。

 

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どこまで片付ければよいかわからずそこそこでやめてしまう。明日には父が来るから、これが最後の夜。ループするをギターで弾いた。感情のピークをどこに定めればいいのかわからない。明るいきもちと不安がたぷたぷに揺れている。明るい文章を書こうと思ってフリックしているうちに暗くなったり、その逆になったりしてへとへとになる。

 

荷物の処分、と思いつつゆず酒をたらふく飲んで寝てしまった。

 

 

2月7日

かおりがわたしと学食を食べるためにわざわざ大学まで来てくれた。俳句を教えて欲しいと言う。そんなの、そんなのわたしのことが好きだからに決まってる。うれしくてたまらなくなる。俳句はね、世界でいちばん短い詩なの。大学のともだちのこといろいろ考える。かおりが最後にプレゼントをくれた。綺麗な文庫本カバーだった。なんとなく、一生たまに連絡を取り合う仲になる気がした。こういう時のなんとなくは限りなく絶対に近い予知だと思う。

 

テスト前最後の講義を受け、教授と面談した。教授はマスクをしながら「わたしは風邪ではないのですが、ゼミ生がインフルエンザでたくさん倒れているので、少しでもその空気を分け与えないようにということです、風邪ではないのですが」二回言った。かわいいと思う。教授のことほんとうにありがたいと思うようになった。もしわたしのせいで教授の悪いうわさが流れているのなら胸が痛い。

カフェテリアでかおりに手紙を書き、螺旋階段の下に隠して仙台へ。

 

 

送別会したばっかりなのにまた浅野と会う。なんとなく敬語になってしまう。というか浅野は年上なので本来常に敬語であるべきなんですけど…

中東から来た歌人と、東京から来た歌人を迎えてごはんを食べた。駱駝の話、たばこの話、方言の話をした。短歌は好きですか?と聞いてみる。わたしは短歌が好きな人に、短歌は好きですか?と聞いて、その人が、好きです、という顔をするのをみるのが好きだ。

 

れいんちゃんの短歌は雪のイメージ。と言われ、驚き、うれしい。たしかに雪の歌が多い。あまり意識したことはなかったけれど雪で詠むときは自然と言葉が出てくる。

 

お会いできて嬉しかったです、とDMすると、れいんちゃんのこと手強いと思っていたから絶対に会いたかったんだ。と言われる。手強いのか。なるほど、おかしい。いろんな人がわたしに抱く思いを三文字で言い切ったら、手強いなのかもしれないなと思った。

 

ダビドフ、へんな味がした。砂漠の味?

 

 

2月6日

免許センターで手続きを間違って、仙台へむかう。暴風雨。teatoでアールグレイの紅茶を飲む。いいお店だな。何より紅茶がおいしい。葉書を2枚と手紙を一通書いた。

 

ひとりで来るには持て余す、誰かと来るには退屈、そういうおっきい倉庫がIKEAだと思った。

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IKEAのフードコートの居心地がとてつもなく良くて、こんなことならもっと早く知っておけばよかったと思う。手紙をもう一枚書く。こんなことならもっと早く、と思ってばかりだけどわたしの将来はこの先60年あるよ。大丈夫。

 

ホンダさんに送ってもらう。がんばりなね、と手渡された分厚い本が「鬼速PDCA」という本で、やりますよ、やります…とうなだれた。

 

駿くんがブログ(http://hrz.hatenablog.com/entry/2017/02/06/230419)を書いてくれたので、わたしもブログ(http://come-rain-or-shine.tumblr.com/post/156891292266/)を書いた。満足した。短歌とか俳句よりもやっぱりわたしは日記やエッセイなのかもしれない、など思う。

 

冴えてしまったのか寝付けず、ギターを弾いたりメールをチェックしたりした。同じ時刻にタイムラインにいたので、電話。あなたが思っているよりわたしは退屈だし、おとなしいし、なんていうかおしとやかで、かわいいのに。と思った。こんなことを誰かに対して思うことはあんまりないんだけど。言いたいことが結局言えなかった気がした。言いたいことがいつでも「言うべきこと」だとは限らないから良いんだけど。

 

今日書いた手紙はすべてよく書けた手紙だと思う。直筆もこころなしかいつもよりは上手い。6時に眠る。

2月5日

 年下の女に贈る最後のプレゼントに相応しいものはなんだろう、と朝から考えていた。三越のTHREEのお姉さんはとてもやさしく、Diorのおばさんはケバかった。魔力がいちばん強い気がして結局CHANELCHANELのおばさんにナメられているなあ〜と終始思っていた。ぜんぜんお客様扱いじゃないような気がした。お金を払うときのお財布をすっごい見てくる。古いけれど母のお下がりのcoach使ってて良かった。

 

手紙屋でいちばん上品な便箋と封筒を買い、キジトラでコーヒーを飲みながら手紙を書く。マスター以外に、珍しく中年の女性がはたらいていた。はじめて見た。奥さんなのだろうか。改めて買ったネイルエナメルを取り出して、梱包のリボンやちいさな紙袋を眺めながらそれでもCHANELにしてよかったと思う。ブランド力は説得力だと講義で習った。これはわたしがここを去るという説得。

手紙を書いて想定の枚数に収まったことがない。ふたりぶん書き終えて時計を見るとまさに集合時間になっていてアリャ〜、と呟く。遅れる!とLINEして走る。わたしはいつもこうだ。誰かに花を買ったり手紙を書いたりして遅刻する。良くない。いつのまにか雨が降っていて濡れたアーケードで転びかける。

 

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姉妹みたいでかわいかった。

 

 

 

お店に着くとなぜかふたりが店の前まで出て来ていて、なんだ?と思って促されるまま席へ行くと短歌会のみんながいた。やーい!送別会だ!と言われる。ほんとうにみんないたのでびっくりして手が震えた。したり顔の玲子とみずきを小突いて、ええ〜、ええ〜というままロゼを飲み干した。

 

みんなが手紙やプレゼントをくれ、表彰状まで用意してくれて、やっぱり泣いてしまった。ほんとうにここを去るんだ、と強制的に認めさせられる。

 

いきものがかりのYELLが流れて店内が暗くなり、花火のついたデザートプレートが出てくる。

 

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笑ってしまう。恥ずかしかったんですよ、がんばはひらがなで、レインは片仮名で、ってお願いして、と玲子が笑う。さよならはかなしいことばじゃない。いきものがかりの歌詞に背中をとん、と押されてなみだが出た。昨日最後みたいな顔した浅野が手紙を読んでくれる。れいんのおかげです、と。そんなことない。わたしこそ、わたしこそ…

 

 

終わりのことを考えた。終わりを終わりにするための儀式のいろいろを。

やりたいことが手一杯で泣いてしまう。

 

2月4日

結局一粒しか泣かなかった。

 

もうあと1週間もないのに、なぜだかずっとこの暮らしが続くものだと思ってしまって、ふたりからの送辞を「やめてくださいよ、そんな、お別れみたいな」と遮った。ココさんから手作りの白いビーズのブローチとツモリチサトのハンカチをもらい、抱きしめあって仙台で別れた。東京で暮らしてみるのもぜったいたのしいわよ、という言葉と、でも俺はやっぱり東京には住めないなと思った、という苦笑い混じりの言葉を聞いた。好きな人たち全員に、会いたいと思ったら電車に乗って4駅くらいで会えたらいいのに。それが東京という街なのだろうか。きっとちがう。好きなことだけして暮らしていくことができない、のではなくて(そんな夢のない言い方をしたくない)、やりたいことが多すぎて、一気に同じくらいの力を込めるのはやっぱり無謀なのだ。年を重ねて、やりたいことはどんどん増えて行くだろう。22年間でこれだけの人の縁に恵まれたのだから、44歳になるまでにはさらに慄くほどの、素晴らしい人との出会いがある。第1章の幕をそろそろ引かなければいけない。幕をひくってことは、そのあとふりだしに戻るってことじゃない。その時点までの共演者やスペシャルサンクスのみんなと緞帳の前で手を繋いで、鳴り止まない拍手喝采に包まれながら満面の笑みで深々と礼をするってことだ。

 

それにしてもわたしはここまで出会ってきた人たちが好きだ。そしてこの場所が。ここでのたうちまわった日々がぜんぶ愛おしい。あのときもっと、と思ってばかりだけどあのときそう出来なかったことはすっかり腑に落ちているし、わたしはそれでも最善を選んで来たじゃないか。なるべく突拍子もなくて、ばかばかしくて、きらびやかで、たのしくて、取り返しの付かなくて、詩の粒に満たされたほうを。紛れもなく最善だった。すこし遠回りする羽目にはなったかもしれないけど何も間違っちゃいない。

 

 

愛が何かってことは四年かけてぜんぶ仙台で知った。

 

無理だってわかっているから口だけは駄々をこねさせてよ。小さい頃わたしは全く駄々をこねない子どもだったんだって。だからその分いまわがまま言わせてよ。どうせ来週末には引っ越すから。やだよ。ずっとこのままでいさせて。みんな何にも変わらずに、このままで、この日々を続けたまま死にたいよ。

 

みんな大好きで、ぜんぶ大好きで、途方に暮れてしまう。北仙台を通り過ぎたあたりで突然「4年間ありがとう」と言って握手を求めてきた浅野の泣きそうな顔を忘れない。泣くなよ、あはは馬鹿じゃないの、一生会えないわけじゃないのに。と笑い飛ばそうとして、一昨年みんなで蛍を見ているときに浅野が「あと何回こんな風に空を見上げられるんだろう」なんてうそみたいな台詞を言った時のことを思い出した。その時はちゃんと言えた。ばーか、いつでも集まれるっつーの。って。浅野は「そうだよねえ」と笑った。でも今回は言えなかった。みんなこうやってどんどんばらばらになるのかな、って思ってしまった。浅野はきちんとコートの袖を捲って右手を差し出してきた。しぶしぶ、でもしっかり握手をして、「こちらこそ、ぜんぶありがとう」と言った。眉を意地悪につりあげて、ばーか、って顔しながら。ばーか、泣いちゃうじゃん。ってこころの中で言った。たぶん、浅野にはそんなこととっくにバレていた。浅野に手を振って台原を発車して、一粒だけ泣いた。涙がこぼれる前に目頭を押さえてコートの袖で吸わせた。

 

 

一駅ずつ降りたりしない帰りの地下鉄はやたらはやくて、地下鉄ってすごいはやい乗り物なんだな、と思って、そんなのあたりまえで笑った。くたくたになったフリー乗車券はおみくじと一緒に財布にしまった。

2月3日

 

こんこんと眠り続けてしまった。メタファーだしメタファーではないです。

 

書きたいことだけが溜まっていく。こんなんではいかんいかんと思いながら、今度こそ最後だ今度こそやめるぞと言い聞かせ続けてメビウスの1㎜はあと4本になってしまった。どうにか教授にメールを返した。年明けからわたしを心配してくれる大人からの連絡を結構無視している。申し訳ない、申し訳ないのだがわたしはいまあなたがたに合わせられるような顔がない…顔がないなら顔がないと連絡するべき。わかっている。Facebookのアイコンを変えたら白形さんから「かわええやん」とLINEがあり、うれしくなって返信していたら「そんでおまえは人生設計結局どーするん??」と、唐突に。ほんとうにそういうやり方がうまい。そんで当たり前のことを当たり前に怒られたあとやさしい喝を入れられたのが昨日で、ラブレター書くから実家の住所を教えんさいと言われ、その住所に松山からせとかという宝石みたいな柑橘が届いたのが今日。仕事が早い。こういう大人になりたい。白形さんは神野紗希や佐藤文香とおなじくらいにわたしを可愛がってくれる。俳人でもなんでもないのに。素晴らしい大人たちがどうしてわたしにこんなに良くしてくれるのかわからない。うそ。年下の女の子をなんぼでも応援したいきもちはよくわかる。応援すること自体に救われるし、投資しがいのある希望なのだ。きぼう。わたしが若さと希望をあてられてもらえるうちに。かたちを決めなければ。かたちが決まらなくても、どういうかたちになりたいのか定めなくては。

 

わたしのともだちとわたしのともだちが知らないうちに(或いはちょっとしたわたしの仲人により)仲良くなっていく。わたしの居ないところでわたしの話をしていたりするのだろうか。前置きを必要としない友人を作るのにインターネットは最適で、しばしばそれが当たり前のような錯覚さえ起きる。タイムラインが似ている同士ならほかの何にも似ていないのに何かが似ている感覚がある。さいきんは他人との出会いに運命や感動を覚えすぎるのも(そういう意味づけをしすぎてしまうことは)良くないような気がしてきた。既に「妹みたい」「双子の兄弟みたい」と言ってしまった人がそれぞれ3人ずついる。そんなのナンパと変わらない。ほんとうにそう思ってそう言っているのだけれど、そうやって肉親に位置付けすぎると肉親が足りなくなる。それほど出会いに恵まれているのはありがたいことですが…

 

大きな物語と小さな物語の話をしていたのは多分けもの先生だったと記憶しているんだけど、大きな物語は「今がお前の人生の岐路だ」とわたしにのしかかり、小さな物語は「だっさ」とわたしをまち針でぷすぷす刺してくる。どちらの物語にもぜんぜん歓迎されていない。仕方がない。終わりよければすべてよしならば、いま現在によってここ4年間のことがすべて悪いということになってしまう。

 

 

ひとりごちに口を開けば「最悪」と言ってしまっている。そのあと慌てて「、ではない」と付け足して、かなり癖がついてしまっているなあと思う。言霊は前向きに使いたい。とにかく外に出ようと、化粧もせずスーパーに出向いて安くなっていたねぎとろ巻きとビールとキムチと板チョコレートを買い、たばこを吸いながら帰る。有汰から「美味しんぼに触発されて作ったお吸い物の味をみてほしい」と呼ばれ、飲みにいく。かなり薄味だけどちゃんと昆布と鰹節からひいたという出汁が香っていた。ひとりでいると気が滅入ってだめだ、とここ数日の話をすると「おれが鬱だったときと同じじゃん、それはもう鬱ですよ」と言われる。そんな気がしてインターネットで診断したけど大したことないって結果だったよ。睡眠と食事はむしろ取りすぎている。ただ、そうだとすれば去年の秋からわたしは鬱だったんだろうな。震災の話をして自分の部屋へ帰る。あのとき石巻では何が起きていたのか。壮絶だった。壮絶なことを笑って話すのが壮絶だと思った。

 

地下鉄吟行の予定を立てて眠る。好きな人の声が好きだなと思いながら。

 

 

1月31日

昨晩少し夜更かしをしてしまったので6時に起きたあとふたたびこっくり寝てしまった。11時。慌てていたのにドリアを焼いて食べてから家を出た。家を出るまでの20分間があるとき、空腹のまま化粧をこなすかすっぴんのまま何か食べるか。前者をいつまでたっても選ぶことができない。それならばせめてきれいな肌でなければいけないのに、ため息が出るほど肌荒れしている。

 

昨日一通りフリッパグラムのいじり方をおぼえたので、サークルの思い出を動画にまとめるためのBGMを選びながら大学まで歩いた。SAKEROCKのSAYONARAがいい、と思い、聴いている途中にぽろぽろ涙が出た。なにやってんだろ。さみしいな。なにやってんだろ。たのしかったな。って思って泣いた。スヌードがしとしと濡れた。えへへ、あはは、みたいな声を小さく出しながら涙をぬぐって歩く。十分楽しみました。こんどはまじめに頑張る番。