読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

3月7日

「そんなの几帳面な家出じゃん」と言われて、人聞きわるいんですけど…と怒ったけれどかなり言い得て妙だった。実家に鍵をかけたのが木曜で、今日が火曜。用意周到なる几帳面な家出。おもしろいんでメモっていいすか?と言ってiPhoneに書き残した。

 

盛岡東京間をいちいち仙台にバウンドして一泊するのは結構あほらしい。乗り継ぎの方がバスは安いし少しでも多くの友人と会いたいと思ってしまう。さ来週も行くのに、仙台。まだ懐かしいとか離れがたいという気持ちは沸き起こらなかった。あ〜、仙台ですね。という。ゴントランシェリエの平たいクロワッサンを食べる時いつも蛹のことを思ってしまう。クロワッサンと地層の句を詠んだのは2年前。

 

 

高速バスに乗ることを後ろめたく思いたくないから、バスで、と言った時、大変だねってあんまり言われたくない。大変なのはその通りだけど。もちろんいまは新幹線に乗れるだけのお金の余裕はないので、バスで大変だねと言われることがお金がなくて苦労してるんだね、と読み変えて薄暗い気持ちになるというのはある。でもそれだけのお金があるときもわたしはバスに乗ってしまう。移動が好きだからなるべくゆっくり移動したい。身体がちいさいおかげか、バスで眠ることに苦労しないしそもそもわたしはどこでも眠ることができる。乗車中はこうして日記を書いたり短歌を詠んだりするし、目的地によって聴く曲も決めている。サービスエリアで鶺鴒を眺めるのも、ばかみたいに広いトイレの個室も好きだ。移動中しかできない種類の集中があって、移動中に沸き立つ竜巻がある。

 

収録や取材や講演会のために先方がお金を出してくれたときと葬式のために至急実家へ行ったときくらいしか新幹線に乗ったことがない。新幹線に乗るとびっくりしているうちに目的地に着いてしまう。これがタイムイズマネー…とせつせつ思い、声に出してそう言いたくなる。タイムイズマネー。きもちが運ばれていく身体に追いつかない。泉中央から台原にいくくらいの気持ちで八重洲に着いてしまう。あっけらかんと。

 

500km。好きな人はわたしとの距離をいつもそう呼ぶ。呪術のように、あるいは病名を滔々と読み上げる医者のように。時速120kmの乗り物なら、時速80kmの乗り物なら。つまらない。たしかに日本はちいさい。しかしこの国の何処へでもいくためにはお金か体力がいる。そして金縛りのような後ろめたい文化がどこにでもある。わたしが一番輝ける場所はどこだ。そもそもう輝くことなんかできないんじゃないか。

 

帰宅してすぐに眠ってしまった。仕事を終えたわたしの真面目で明るい母は当たり前のような顔で5泊も外泊した娘に「どうしてもっと事前に言わないの」とも「髪切ったのね」とも言って寄越さなかった。

 

3月6日

f:id:akinokirisame:20170306172945j:image

 

ゆでたまごが白くてうれしい。

 

何かに悩むとき、前よりも格段に前向きな選択肢で悩めるようになったよ。みたいな話をのどかとモーニングを食べながらした。どちらを我慢するかじゃなくて、どちらに寄り添いたいかでものごとを選べる気がする。

 

選ぶことが出来なかった選択肢に思いを巡らせてくよくよしなくなったのかもしれない。あの時にああ出来なかった、みたいなことが、自分の中できちんと腑に落ちはじめた。もっと早くああしていれば…と思うこともあるけれど、そうしていなかった分で別の何かを得ている。確かにわたしはあのときああ出来なかったし、あのことに気がつくのも少し遅かったけれど、今こうしていることをきちんと肯定して、明日出来ることを今日少しずつ増やしていくしかないし、そうしたい。ギターが弾ける人生がよかったとくよくよするなら、今日一曲でも弾いてみようとする。そういう努力の存在を認めて、足場を組み立てるみたいな作業とちゃんと向き合おうってきもちになってきた。

 

あれっ、もしかして今わたしは途轍もなくつまらなくて当たり前なことを言っているのかもしれない…。でもそれでいい。4年間思うだけ暴れまわった結論がこんな月並みなことでいいのかな、とも思うけど、月並みなことが出来なかったからのたうち回ったのだし、ようやく冷静になって、なにを選ぶにも落ち着いて決断できるようになってきた。わたしの人生はわたしが責任を取る代わりに、だれの義務も負う必要はない。

 

ここ数年、全部を理解したい、とか、気に食わないものとは真っ向勝負してぶん殴って生きていくぞ、とか、100人いたら100人から愛されて生きていくぞ、とか、自分が何か間違ったことをしたり挫折したりした時は切腹して死のう、とか思っていた。本気で。疑いなく。明るさで人を殴っているうちに自分は明るさが取り柄の人間だと思うようになっていたし、強気が有り余っていた。いいとか悪いとかじゃなく、確かにそう思っていたし、そういうわたしがちやほやされたり疎まれたりした。

 

 

いまはもう、無敵で突っ走らなければ、と思わなくなった。死ぬまで突っ走ることは出来ないってわかってきたし、突っ走らなくてもいいと思うようになった。これは敗北でも挫折でもないと思う。無敵で突っ走っていきたいと思う季節が終わっただけ。

 

 

バスの揺れ方で人生の意味がわかった、とバスに揺られるたびに思い続けて、こんなにしあわせな土曜日があっていいのだろうか、と涙目になり続けて、人生を少しずつ上塗りして膨らませていくとするか。今しかできないこと、とばかり思っていたけど、これからは"その気になれば何度でも出来る"って思って暮らしていきたい。東京なんていつでも来れるし、仕事なんていつでもできるしいつでも辞められる。ほんとうに絶望したときは死んじゃったってかまわない、そのときは来世があるし。どうしようもなく愛しいなら結婚しちゃえばいい。石橋を叩いて割るのはもうやめよう。叩かずに渡ってぼろぼろに崩れちゃったとしても、また橋を作っちゃえばいい。こうあるべき、という無言の呪いを自分にかけ過ぎていたけど、この呪いもちゃんと自分で解けたじゃんか。

 

その気になれば何度でも出来るぞ。

 

 

 

ゆでたまご、ちょ〜綺麗に剥けた。

 

 

3月5日

ゆっくり起きた。一杯しか飲んでいないのに二日酔いっぽいのは花粉症のせいか疲れのせいかわからない。着替えて、化粧をして10:30。ララランドの真似をしてタップダンスをしてみたけれど、わたしがやると地団駄を踏んでいる小学生に見えるし、ララランドのキャプチャでよく見る腕を広げるポーズも、わたしがやるとぽんこつな歌舞伎のものまねのようになってしまう。

 

 

 

f:id:akinokirisame:20170306163422j:image

ヨーグルトパフェと迷ってメロンパフェにした。折角ならより南国の鳥みたいなパフェが見たかったから。パフェにはメロンが両手を広げるようにはためいているうえ、アイスクリームがそのまま刺さっていて愉快でよかった。ハッピーメリーゴーランドウルトラミラクルスマイルエブリデイ、って感じがした。要はばかばかしい。並べて写真を撮りながらめぐちゃんが「四天王」と言ったので笑ってしまった。ばかだ、ばかだと言いつつ、わたし以外はみんなするりと完食して焦る。パフェを食べようと言い出したのはわたしなのに、少し緊張していたのかお腹がすぐにいっぱいになったし、思ったよりも甘いものが苦手になっていた。珈琲西武の椅子は好ましく、赤いベロアの椅子のある喫茶店にはずれはないという仮説がたちあがる。

 

f:id:akinokirisame:20170306164402j:image

DIXIT、たのしい。こういうお店がすぐそばにあればいいのになあ。

 

パッションフルーツとドラゴンフルーツとミラクルフルーツ。日本列島と世界地図。バレンタインとプランクチャレンジ。あっという間に夜になってしまう。こうして遊んでもらえてほんとうにありがたい。

 

 

 

 

好きな人に「わー、油田だ」と言われ、好きの油田ってことかあ、とすぐに理解できてしまいいくらなんでも行間が読めすぎだろ、と可笑しかった。好きの油田でも好きのなる木でも、好きで満たされた湯船にでも何にでもなりたいよ。

 

明日帰るね。

 

 

 

3月4日

 

わたしのこれまでの人生を2時間半の映画にするとして、いろんなことがあったけれどどうかこの土曜日のことを30分は描かせてほしい、それくらいあまりにも幸福ないちにちだった。

 

まったく土地勘のない場所で入った珈琲店のマスター夫婦と仲良くなって、すっかり話し込んだ。短歌の話、啄木の話、ジャズの話、コーヒーの話、愛する人の話。1時間でよくここまで話し尽くせたと思う。後から合流した彼に、さっきこんな話をしてね、と報告すると「そんなに直ぐに打ち解けられるなんてさすがだなあ」と感心されたほどだった。

コーヒーは耳で聴いて焙煎するらしい。熱心に信仰していると言っていいほど大層珈琲にこだわりがあるふたりだったので、獅子文六の「珈琲と恋愛」という小説のことを話した。ふたりとも読んでいないとわかり、この話は珈琲好きなあまりに喧嘩する男女が出てくることは黙っておいた。帰り際に南極の石を見せて貰った。南極の石…

 

 

確実に足元に埋まっている春を感じながら彼の生まれ育った場所をひたすら歩いた。公園にはたくさんの犬がいて、たくさんのベビーカーがあり、それぞれがそれぞれの人生の土曜日を過ごしていた。はじめて来た場所なのに、ここにずっと昔の思い出があるような気がした。彼の行きつけのレストランへ行き、図書館へ行き、そこで詩集と句集を借りてもらって喫茶店で読んだ。時折指差して笑いながら、しあわせの途方にくれて泣き出しそうになる。

 

公園では早くも桜が咲いていて、見上げると大きな緑の鳥が次から次へと桜の花をちぎっては地上へぽとぽと落としていた。うぐいす?にしてはでかすぎない?わ、待っていっぱいいる…いち、に…7羽も… インコじゃない?インコだね、なんでインコがこんなところに…。目つきの悪いインコがふてぶてしく桜を落とす様はあまりにも無愛想なブーケトスのようで可笑しかった。ふたりでずっと真上を見ながら手を伸ばし、落とされた桜を空中でキャッチしようと躍起になった。あとから調べたら都内ではワカケホンセイインコという外来種のインコが野生化しており、桜を喰いちぎるのは根元の蜜を吸う「盗蜜」という行為らしい。彼が掴んでくれた桜の花はさっき借りた詩集に挟んだ。

 

f:id:akinokirisame:20170306160142j:image

 

鳥の啄んだ花を掴んで詩集に挟むなんて、こんなのとこしえの記憶じゃん、と思ってしまう。とこしえの記憶じゃん。こういう土曜日を過ごすことができただけで生まれてよかった。

 

 

 「見てて、そろそろこのへんから観覧車が見えるよ」と言われたこと。フランボワーズの板チョコレートをひとかけ貰ったこと。レストランのいそぎんちゃく。春の季語を教えたこと。好きな曲を教えて貰ったこと。虹色の凧が木の枝に引っかかっているのを指差したこと。少年たちの草野球を眺めたこと。どうしても胸の内だけに留めておけず短歌にした。こうしてそのひとつひとつをいつでも思い起こせるように記録することを消費だと呼ばれるのなら、そんなの暴力だ。愛はおしゃれじゃない。これは消費でもファッションでもない。わたしが何かを書き残すときの原動力は、洞窟に骨を使って絵を描くような、もっと原始的で、もっとやり場のないきもちだ。

 

 

f:id:akinokirisame:20170306160945j:image

おいしい羊肉を食べながら、好きな人と獣らしい食事をするのはかなり江國香織っぽいと思った。肉をつまんだ指ごと舐めながら、わたしたちが人間という1匹の几帳面な獣であることを再確認する、的な。彼がわたしの顔を真剣に見つめて「ほんとうに、玲音は、たましいが綺麗な子だよね」と、まるでわたしみたいなことを言い出すので驚いてしまった。「ええと、こころが綺麗。っていうとそういうことじゃないんだけど…透き通っているというか…」うれしくてたじろいでいると、彼までたじろいでしまう。思い出した。わたしが好きな人を好きなのは、不器用なほど実直だからだ。ふたりでコジコジのアニメを見ながらコジコジと次郎の真似をした。コジコジはうまれてから死ぬまで、ずーっと、コジコジだよ?

 

 

 

 

 

 

マスターに「あなたにはすばらしい人生しか待っていないし、きっと東京でそれが叶う」と言われたことは、半透明の半紙みたいな膜に包んでこころの中に祈りのように眠らせた。

3月3日

 

5:15に新宿に着き、ホテルに荷物を預けた後その地下にあるルノアールで手紙を2通書いた。山口県国分寺宛。紀伊国屋で2冊の本を買い、新宿御苑でそれを読みながら自分が花粉症だってことを思い出す。佐藤文香の君に目があり見開かれという句集と金子兜太いとうせいこうの対談。句集には付箋を、対談にはマーカーを引いた。ベンチに腰掛けている45分間のあいだに3度、それぞれ別の外国人観光客から遠巻きに写真を撮られた。声をかけられたわけではなかったがどう見てもファインダーがわたしに向いているので反応に困りつつ本を読み続けた。途中、風に煽られた梅の花びらがわたしの手元の句集へと散って胸がいっぱいになってしまう。さっきの彼らはわたしを撮っていたのではなく、「唯一満開の梅の木の下で本を読む日本の女」を撮っていたのだと気付く。

f:id:akinokirisame:20170306140629j:image

 

 

すこし肌寒いのでmatchbacoへ。任航の個展を見に来た時は彼が自殺するなんて思いもしなかった。はじめてラブリーと会ったとき、クレッソニエールに行った後このギャラリーに来たんだ。姉妹ですか?と聞かれたことも忘れない。

 

ラブリーと会えると思うとずいぶん緊張してしまう。東銀座で降りて歌舞伎座の前でハグした。かわいい。内側から発光するような、ほんとうに可憐な女。へんな服を着てしまった、へんな化粧をしてしまった、みたいな際限の無いはずかしさで頰が赤くなる。ラブリーを前にするとわたしはなにもかもあけすけで、懺悔みたいなきもちになるのはどうしてなんだろう。何から話し始めていいのやら、どぎまぎしながらふたりで喫茶店youのオムライスを食べた。資生堂パーラーのオムライスは惑星みたいだと思ったけれど、youのオムライスは宇宙の食事みたいだった。お米がアルデンテでおいしい。

 

 

資生堂ギャラリー吉岡徳仁のスペクトルを見る。日曜美術館で京都の透明な茶室を知ってからずっと見たかった。

 

f:id:akinokirisame:20170306141728j:image

真っ白で大きな部屋の中にスモークが焚かれ、何者かの囁き声のようなノイズが聞こえる空間なんて、何を置いても見惚れてしまうだろ。だまされない、だまされない…と言い聞かせながら、でも、やっぱりどうしても好きでくやしかった。大きなサンキャッチャーに吐き出される虹のかけら。繊細に暴かれているような、肉体の中身が飽和して勝手に流れ出していくような、どうしようもないきもちの揺れかただった。

 

 

f:id:akinokirisame:20170306135738j:image

f:id:akinokirisame:20170306141920j:image

 

 

ラブリーが虹に手をかざしているのを見ながら、乱反射のような女だと思った。乱反射は受動のひかりのように見せかけて、ひかりを操っている。わたしがカメラを向けるとラブリーはいつでも数ミリだけうなずく、その表情がとても好きだ。館内にいるうちに電話がかかってきて、来春からの採用が確定される。電話を終えてギャラリーに戻り、受かった、というより先にラブリーが「よかった」と言った。

 

f:id:akinokirisame:20170306143614j:image

 

透明な椅子に座ったまましばらくまた虹を眺めて、文具屋へ。

 

 

 

文具屋にはたくさんの引き出しがあった。さまざまなかたちの、さまざまな色の、さまざまな手触りの紙がそこに眠るように収められていて、滑りの良い引き出しは取手にすこし手をかけただけで導かれるように開いた。

 

f:id:akinokirisame:20170306142857j:image

ここで思い思いの紙を買って、この後喫茶店かどこかでお互いに手紙を書かない?と言うと、「そう言おうと思ってた」みたいな顔でラブリーはふくふく笑った。たくさん悩んで、わたしは封筒を2枚、便箋を1枚、ワックスペーパーを3枚買った。それぞれのテスターに値段と大きさと色と紙の名前が書かれており、ラブリーは水色のミランダという名の封筒を買っていた。上品なラメが練りこまれた水面みたいに光る紙をつくり、それに「ミランダ」と名付けた人のきもちを考える。

 

 

 

 f:id:akinokirisame:20170306143408j:image

 無印のカフェでいいのかしら…とラブリーはすこし心配していたけど、わたしは予てよりずっと無印の透明なメロンソーダを飲んでみたかったのでうれしかった。

 

f:id:akinokirisame:20170306143546j:image

ラブリーに手紙を書いている間は会いたくて会いたくて仕方がないのに、ラブリーと会っているまさにその瞬間はずっと手紙を書きたい手紙を書きたいと思い続けている気がする。

名画座でティファニーで朝食をを観てきたというラブリーがくれた手紙の封筒は、ティファニーによく似ていた。わたしは緑色の封筒にふきのとうの絵を描いた手紙を渡した。

 

わたしたち女同士でよかったよね。ほんとうにね。恋は終わるかもしれないけど、わたしたちは永遠に終わらないもんね。独り占めできない代わりに絶対に奪われないもんね。わたし男だったら玲音ちゃんのこと愛しすぎてへんなかたちになっちゃうところだった。わたしは女でもラブリーのこと好きすぎてもうすでにへんなかたちになってるよ。またね。うん、お元気で。握手をしたまま右手の甲にキスをされた。そのままその手を離してひらひら振るラブリーに呆気にとられて、この女をこういう女にしたのはすっかりわたしだと思ったら可笑しくて笑ってしまった。ラブリーはわたしにキスをした後、どうだ!と言わんばかりに凛々しいオコジョみたいにきりっとした顔をするのがかわいい。かわいいなあ。

 

 

 

 

 

好きな人と待ち合わせてお酒を飲んだ。ずいぶん緊張してしまって目が見られない。本物だ、と言われて反射的に笑ったけれど、はたして、これはほんとうに本物のわたしだろうか…?みたいな哲学的なきもちになった。ちょっと疲れていたのかもしれない…。彼の幼馴染がバーテンダーを務めるお店は夢みたいなところだった。夢みたいっていうのは大げさではなく、わたしは7歳くらいの時にこういうお店を夢みて画用紙に描いたことがある。好きな本の話をしながら春の芝生みたいなカクテルを飲み、春の地層みたいなミルフィーユを食べ、春の土みたいなコーヒーを飲んだ。

f:id:akinokirisame:20170306145744j:image

うれしくてぽてぽて酔ってしまう。酔ってからはズブロッカの瓶に描かれた水牛の角を何度も目で追う。

 

帰り道で手を繋ぎながら好きな人の横顔をみていたらなんだかすべてを肯定できるようなきもちになった。あんまり見つめすぎて、ん?と首を傾げられたので「本物だ、と思って」と笑った。

 

てざわりのあるものを信じたい。てざわりを信じてもらうために会いたい人のところへ会いにいきたい。春を拒んでもどうしようもないから、丸ごと吸い込んで膨らんで飛ぶしかない。暫くの間すっかり横たわっていたわたしの明るさや前向きさみたいなものが、毛むくじゃらのふかふかになって蘇りつつある気がしてきた。来てよかった、東京。

 

 

 

2月18日

葬儀のことを思うと気が滅入り、へとへとに疲れていたのにその日のうちに盛岡に帰らなかった。23時の国分町には雪が降っていた。ふたりであるいていても風俗店のキャッチは声をかけてこない。キャッチに声をかけまくられるような人間になりたかった、という謎のあこがれをずっと抱いている。

 

わたしには昔から何か迷った時は両方選択しようとする節がある。たとえばミネラルウォーターとブラックコーヒーで迷ったら自動販売機のボタンをせーので同時に押す。同時に押したつもりでもどちらか一方が感知され、神の選択によるところのものをわたしは飲む。きょうも迷ったボタンをふたつ一緒に押した。そしたらふたつとも選択"ささって"しまった。機械が少し調子を崩してしまい叱られるでもなく迷惑そうな顔をされた。屋根が家にめり込んで、壁が斜めだった。407という数字をラッキーセブン、って呼ぶのはちょっと違うだろ、と思いながらラッキーセブンでいいね、と言った。神の選択によるところ、それはどちらを選んでも対して変わらない、ということかもしれないし、あるいはどちらも選ぶべきではなかったという意味かもしれない。

 

自分の人生のことだけを悩めるのは若いうちの特権らしい。悩む暇もないような日々がすぐそこでわたしに手をこまねいている。それにしても、あなたもあなたも、そしてわたしも、考えたってどうしようもないことを考えすぎなんだよ。自分のことを理解したり解説したりしているつもりで、根本的に何も変わらないなら免罪符にもならない。自分に詳しくなればなるほどそこには絶望しかないのなら、ある程度のシナリオを演じるくらいの方がいいんじゃないの。無理しろってことじゃない。無理しないために、だれも傷つけないためにそうしたほうがいい。上野樹里が何を演じてものだめにしか見えなくなるようなことを起こすこともできる。そしてそのシナリオはあけすけに公開しちゃいけない。きみがどういう人か、それはこちらが決めることだから。

 

考えたって無駄だって。三つ子の魂百までなんだから、22歳までずっと変わることのできなかったこだわりのある性格は、700年後までそのままなんだよ。というと、絶望したようにきみは笑った。くよくよしているのは、くよくよしたいから。だれしもなんだかんだ、したいからそうしていて、自分に満足しているのではないか。いまにも潰れそうな商店街や古いビルの名前、歴史について詳しいくせに、コンタクトレンズにソフトとハードがあることをきみは知らなかった。

 

 

 

そうすべきだと思ったからそうする、みたいな、たましいの行方を優先させて身体を従わせたい。そこにシナリオはない。ないって言ったらうそになるけど、わたしはいつだって迷ったボタンはどっちも押して、そうやって生きてきた。

 

けれど。わたしの選択の理由を聞かれたとき、神の選択によるところ、なんて答えるのは卑怯だと思う。だからそう言う時は大抵「おもしろそうだから」か「さみしそうだったから」と答える。おもしろそうだからさみしそうだった。「きみは自分が思っているよりも上手に自分のことを見せることはできていないし、どっちかっていうとそういう不器用さを愛しく思われているんだよ」と言われた。知ってるよ。2ちゃんねるが教えてくれた。そんな恥ずかしいことあってたまるかよ、と思いながら「ぜんぶわかっててそうしてるの」、とおどけたりする。我ながら、かわいそうだよね。

 

 

考えたってどうしようもないことを考えすぎだし、何かを示唆したようなことを言いすぎる。もっとひろびろした話がしたくなって、いわしの群れ、と言うと、なんだよそれ、と笑われた。知らないの?見たことない?いわしの群れ。ものすごい数のいわしがきらきらしながら群れて泳ぐんだよ。意思を持ってさまざまな形にうごいているように見えるけど、よく見ると先頭がいないの。みんな、そのときにそうしたほうがいいと思う方向に泳いでいるだけなのさ。でもすごくきれいなんだよ。このまえさ、好きな人と水族館でそれを見たの。彼はとても疲れていたから大水槽の前の椅子に腰掛けたまま眠ってしまって、わたしはその寝顔といわしの群れを見ながら、なんだか大きく安心したのさ。安心っていうのは、途方にくれるほど守られるってことだと思うな。わたしは。何を選んでも大丈夫かもしれない、ってきもちになったの。そのときは。

 

 

仙台駅まで歩きながら、「まだまだここの住人じゃない自覚がないや」と肩をすくめたら「どんどんよそ者になるんだよ」と言われた。そんな顔しないでよ。

2月10日

こんなことばっかり続けてる日々をあたしはばかだから愛しちゃってるんだぜ。ほんとうのとこはわかってるんだ、でもね一生パーティーがいいな。

 

駿くんが作ってくれたわたしの動画を見て泣いてしまう。ふくろうずのループする。でもこれ以上ループしてはいけないものもある。

 

f:id:akinokirisame:20170212120812j:image

 

 

サンキャッチャーがきらきらしてて、この建物の名前がこもれびだってこと思い出した。段ボールにものを詰めながら思い出を切り崩す。大学のともだちと餃子パーティーした。ひとりで泣いた。朝まで話した。パンを焼いた。歌を歌った。モヒートを作った。ギターを弾いてもらった。うそをついた。無理をした。たばこを吸った。一日中寝ていた。レモンジュースを作った。手紙を書いた。セックスをした。鍵を捨てた。プレゼントをあけた。自信満々だった。自己嫌悪だった。すこしずつ、でもだんだん雑に詰め込んでいく。どうせまたすぐに開くだろ。センター試験の受験票、合格通知、昔の写真などが出て来た。

 

有汰が照明外しに来てくれる。なにからなにまでありがたい…

f:id:akinokirisame:20170212121544j:image

 

ついでにVRAV見せてもらう。自分の肉体をひょろ長の男性のものだと認識するのがたのしかった。DMMのかわいい女優。

 

 

大家さんが来て、ざっくり部屋の確認をしてすぐに去っていった。四年間おせわになりました、と言うと、こちらこそ、と言われる。そうですよね。家賃高かったです。

 

和也に小包を出す。16:55。ぎりぎり。この郵便局に来るのも最後かもな、と思う。ありがとうございました。たくさん手紙を出した。

 

帰り道の空がへんに赤くて、しばらく見上げていた。

 

f:id:akinokirisame:20170212121513j:image

 

どこまで片付ければよいかわからずそこそこでやめてしまう。明日には父が来るから、これが最後の夜。ループするをギターで弾いた。感情のピークをどこに定めればいいのかわからない。明るいきもちと不安がたぷたぷに揺れている。明るい文章を書こうと思ってフリックしているうちに暗くなったり、その逆になったりしてへとへとになる。

 

荷物の処分、と思いつつゆず酒をたらふく飲んで寝てしまった。